魔迫瑠砕のひとりごと

精神障害をかかえながら91歳の母を介護する私の日常

また行かれなくなった・・・

昨年、やっとフレイル状態から抜け出し、自分の足で立ち、歩けるようになり、軽い運動までできるようになり、通院や買い物までできるようになっていたのに…

 

災害があるときは必ず影響を受ける。今年元日は母を連れて出かけたが、帰ってきてアパートの階段を上るとき、母を介助するどころではない。自分の膝が痛くて自身が上れなかった。母に先に部屋に入ってもらい、私は時間をかけてやっと玄関に辿り着いた。

 

油汗かきながら鎮痛剤飲んだり湿布剤貼ったりしていたら家が揺れた。能登半島付近が…

 

くそっ!まただ。

嫌な予感はしていた。すごく具合が悪くなると、必ず日本のどこかで災害が起こる。2年くらい前か、母のところに来てからはずっとそうだ。

 

先日、千葉県付近で小さめの地震が頻発する少し前からまた起きられなくなってしまった。

今度は何だ!?

それでなくても不安症がひどくなっているのに、起きてもいない何かに毎日怯えている。

 

起きられなくなったから、当然買い物も通院も困難だ。また何処にも行かれなくなってしまった。フレイル状態にもなりつつある。

まずい。このままの状態で4月に突入するわけにいかない。

4月は私の誕生月なのだが、厄月なのだろうか。近くは離婚、昔は交通事故など、大きく良くないことが起こる。

 

どうした? 大丈夫? 何かあった? 話してみて。出来ることない?

周りが心配するとなぜか問い詰められてるかのように言葉がナイフとなって私に突き刺さってしまう。

 

また死にそうな思いをするのは嫌だ。

 

しっかりしろ自分! もう一度ドラム叩くんじゃなかったのか? ステージに立ちたかったんじゃないのか? だからここまで回復したんだろうが。

6月頃には都営に引っ越すのに、動けないでどうするよ。

 

でも…  不安が先に立つ…

 

 

借金

私は離婚前、特殊詐欺に引っかかってしまった。健康な時なら見破れたはずなのに、気づいてくれたのは元旦那だった。

騙されていた間のことは、自分でも信じられないが、記憶が曖昧なのだ。私は生まれつき頭の中のバランスがとても偏っていたと今になって思う。生まれて間もない頃からの記憶が残っており、自分の見聞きした環境のことも覚えている。その後も記憶力は飛び抜けていたが、自分が飛び抜けているとは気づく由もなかった。

 

なのに、何故詐欺にあっていた時は記憶力も判断力もおかしかったのか。

最近になって漸くわかった。その頃は精神疾患の状態も悪く、強めの薬や、自分に対する怒りやどうしようもない不安発作を抑えるために頓服を処方してもらっていた。そして足りなくなるほど服用していた。

胸も腹も締め付けられるからだ。それを治めるためには頭をぼんやりさせる作用のある薬を使用するしかないのだろう。

記憶に残っていることは、元旦那の助言で消費生活センターの人に力を借りて、思った以上にお金を取り返してもらった。しかし、そのころ私はフレイルのような状態に陥っており、役所に行くことも警察に行くことも、ましてや話をして説明することも、まるで拷問のように苦しかった。

具合の悪い時に重大な決断をしてはいけないと当時の主治医に言われたが、重大で急を要することだらけだったので猶予などなかった。元旦那の家族にまで迷惑をかけ、もうめちゃくちゃ。助けて欲しいと言っても誰も助けちゃくれない。自分のせいでとられた金の分を貸してくれる人などいない。

そうこうしているうちに、とうとう旦那から離婚して欲しいと言われた。

当たり前だ。こんな馬鹿な生き物の面倒を見る人が存在するわけはないのだ。

私は、大切な人が苦しむなら、私はそばにいるべきではない!そう強く思ったことだけはっきり覚えている。

しかし、その後がまた曖昧で、母のところに来たのが具体的にいつだったのかよくおぼえておらす、気づけば2022年の3月下旬で、私は寝たきりになっていた。

母のためのヘルパーは入っていたが、私のために働くことはできないので、私の食料もヘルパーに頼むことはできなかった。なので私の食事はない。水やお茶で凌いでいたと思う。

みるみる痩せていく私を見て母のケアマネは心配はしてくれたが、私のために動くことはできない決まりだ。仕方ないのだ。

私も協議離婚が成立したあとは、一度は諦めた。もう、私がどうなっても元旦那のところに話が行くことはないはずだからと。

 

しかし、詐欺にやられたせいで残った借金がまだあった。60万くらいか。取り戻せる可能性のあるものは取り戻してもらったが、これは私名義の借金。消費生活センターの人では手の出せないものだ。他の誰にも負わせられない。債務整理もできない、自分で返すしかないものだ。

 

2年近くかかってフレイル症状から抜け出せたが、こんなに長くかかるとは思はなかった。とにかく生活費のうち私の食費は削り(母の食費は削るわけにいかないから)、今は1日平均1.5食。これでも食べられるだけありがたい。食べるものがない人達だっているのだから。

 

収入増やしたい。私が働ければ・・・。主治医はまだ無理としか言わない。ひとつずつ改善していくのだと。一体幾つ改善すれば私は働いてもいいのだ? それはいつ来るのだ!

 

私に許される日は来るのか?

部下の教育

上に立つ者が違うとこうも違うのか。

当たり前の話だが、事件が起こるといつも改めて考えさせられる。

 

私は相撲ファンだが、宮城野部屋の北青鵬の弟弟子たちに対するパワハラが明るみに出た。本人には引退勧告がなされ、引退を上申。親方も減俸と部屋づき親方への格下げ。今は部屋の親方は不在となった。

 

確かに北青鵬は親方に可愛がられていたそうだが、何を勘違いしたのか自分が偉くなったとでも思ってしまったのだろう。親方はパワハラ知っていて何もしなかったとは思えないが、弟子が起こした不祥事である以上、監督責任は問われる。元白鵬宮城野親方は私の推しでもあるので残念でならない。

 

次元は違うが、うちには何人ものヘルパーさんが入っている。母のケアマネの事務所にヘルパー部門もあってそこから派遣される訳だが、どうも気に入らない。苦情を呈して変えてもらっていたら、他に人が居なくなってしまったようで、他社に応援を頼み、今では1人を残してあとは全員他社のヘルパーとなった。

 

それぞれのヘルパー代表者は、当たり前だが全く性質が違う。

重きを置いているところが全然違うのだ。

初めから家に入っている方は、いかに時間内により多くの仕事をこなすか。ここに重きを置いている。だから言う事聞かない高齢者には怒鳴る。ちょっと信じ難いが、認知症の勉強したことないのか?と疑いたくなる対応。だから母も、嫌いな人の言うことなんか聞くもんか、となってしまう。

片やあとから入った他社の方は、まず利用者との信頼関係に重きを置く。世話してやってる、なんて感じは少しもない。身体介護にしても、立ったり座ったりさせたあとは、ありがとう、座っていいですよ、とか、必ず「ありがとう」と言ってくれているのだ。だから母も、「ありがとうございました。寒いから or 暗いから気をつけて帰ってください」と言う。

 

つまり代表者自らそうなのだ。だから所属するヘルパーもそうなって当然。そのように教育しているのだから。

 

ケアマネもそこら辺わかっていて欲しいものだが、残念ながら母がわがままだからと思っているようだ。任せられないね、わかってしまった以上は。私の負担が大きくなってたまらないが、ほかに一番母の状態を把握している者はいないから仕方ない。

とにかく、今はそのことだけに集中することにしている。自分のことまで考える余裕はない。自傷をして怒られても謝らなくなった。それどころじゃないからだ。もし、自傷が原因で死んだとしても、私は可能な限りの事をやった上での事だから、文句言われる筋合いは無いと思っている。それだけ必死なんだ。他人に理解されなくても構わない。精神障害は理解される病ではないから。

 

痛い·····

食道の辺りが強烈に。これは、また逆流性食道炎か?  最近しょっちゅうだ。その度に白湯を飲んでやり過ごすが暫くするとまた痛む。

ったく、厄介極まりない。胃液は胃からてでくるなよ。

 

ひり腕の傷は、もうと十日も経つってのに塞がりゃしない。血は止まってるが体液は止まらない。傷を治そうとしてるんだろうが。

22日は通院だが、主治医に言わなきゃダメかな。どうせ怒られるだけだし、言っても仕方ない気がしてきた。

 

私は前回、はっきり助けてくれって言った。けど必要になったら助けるから、で終わった。必要だったから言ったんだけど·····  で、二週間後にザックリだ。

 

なんだよ。診察ったって、ただその時間やりすごしてるだけなんじゃないか?  そんな気がするのは被害妄想かね。

 

なんか暖簾に腕押しというか、好転する気配がまるでないし、もううんざりなんだけど。

 

自分がそう感じるってことは、周りも私の事そう感じてるってことかもな。

 

薬増やされたって頭ボーッとするだけで、母の薬の管理もたまに間違えるようになったし。

 

ヤバいって前から言ってるよな! お医者さんよお!  福祉関係者の人たちよお!  人の話きいてるのか?!

 

私の居場所は何処にもねえんだよ!!!

バカの証

今日は、母の初めてのショートステイ体験日。ゆつくりしてくれるといいけと。と思いつつ、溜まった母の洗濯物を洗って干して、さて、のんびりするかなぁなどと思っていたら、施設から電話。

母が話したいとか。

嫌な予感的中。帰りたい、こんなとこに泊まれない、と言う。

 

宥めすかしてみても嫌だの一点張り。私もだんだん頭に血が上って来たが、それは突然起爆した。

「そんなに嫌なら、今すぐ職員さんに行って帰ってきなさい!!! あとはどうとでもするから、私も限界だ!!  いいから帰ってきなさい!!!」とそんなことを10回くらい喚いたと思う。電話を切った後しばらくボーッとしていたが、左腕の違和感に気づいた。

 

また、バカの証を作ってしまった。座り直すと下の絨毯がグチャっと嫌な音をたてた。

 

もう何も考えられない。

伝えることって難しい

自分の考え、想いを言葉にして伝えるのは本当に難しい。

子供の頃から苦手だった。幼稚園や小学校から帰って、母に今日はどうだった?なんて聞かれても·····  覚えている。全て覚えているけれど、それを全て文章に変換するのが大変な作業になるので気が遠くなりそうになり「忘れちゃった!」といつも言っていた。

 

Logicが弱いとでもいうのか、プレゼンなんて最悪なものにしかならないだろう。

 

未だに悔やまれるのは、元旦那にさえ上手く話せず、おそらくそれが原因であろう「信頼関係の崩壊」。

そして未だに、私の何がそこまで元旦那を幻滅させたのかもわからないのだ。もちろん精神疾患が元になって大変な心労をかけたことはわかっている。これも含まれている。

 

でも、彼にしてみれば、今更何を馬鹿なことを!て感じなのだろう·····

 

母と元旦那のことで大喧嘩になった時、そんなに言うなら○○(元旦那)のとこへ帰れ!!と。

 

出来るわけない。彼には何も言えない、聞けない。顔を見るのも嫌なはずだから。

 

写真を見て、何度スマホを手に取ったかわからない。けどその先指が動かない。

何故こんなにも耐えねばならない?  この先もずっと耐えねばならないのか?

 

終わりたい。終わらせたい。自分を。他に望みは無い。望めるものは無い。

 

誰にも、何も伝えられない。それもいいじゃないか。伝えられないなら伝えない·····    そのままで。

バタバタしてたら·····

いつの間にか年が明けてしまった。しかも、1月どこいった?

 

母のケアマネは仕事できない人。最初はバンバンおしり叩いてたけど、動くまでに少なくとも半年から1年かかる。

そんなんじゃ埒あかないし、私もフレイルから通常まで戻れたので、どんどん自分で進めている。要介護度の認定替えから配食サービスやヘルパーのスケジュール、介護ベッドや手すりのレンタル。

近くはショートステイの契約。2/8~9の一泊二日からスタートする。

 

そして昨年11月に、忘れていた都営住宅募集に応募した。空き家一件だったが、また当たった。ありがたいことだ。明日から資格審査に必要な書類揃えて郵送しなければならない。また、役所・郵便局・病院のハシゴの毎日が始まる。でも、以前のようにJKKまで行かずとも郵送で済ませてくれるのはとても助かる。電車やバスにはまだ自信が無い。怖いのだ。

 

最近、感情の浮き沈みが激しくなり、薬の量が増えている。事務作業をしている時は、なるべく静かな音楽を聴きながら落ち着こうとするが、知らぬまに涙が溢れて困る。いつまでも止まらず、書類などに滴り落ちるのだ。しかも号泣レベルの量。

目の病気かと思って慌てて眼科に行ったら何でもなかった。やはり精神疾患からきているのか·····

 

たとえ壊れても、頼れる人がいない以上、自分でやるしかない。昨年冬から、眠れば必ず悪夢を見て目覚める。起きた時の気分は最悪。吐きそうになることもある。でも、あと何年かわからんが、もう少し、なのだろう。我慢するしかない。

 

今の私の大切なものは、ある写真。元旦那と私が写った写真。タキシードとウェディングドレス。

母には内緒で眺めている。見せてやるもんか!

 

にこやかに笑っている元旦那。動くことも話すこともないけれど、あの一瞬があるから私は今も生もう少しだけ、頑張ろう。