魔迫瑠砕のひとりごと

精神障害をかかえながら91歳の母を介護する私の日常

借金

私は離婚前、特殊詐欺に引っかかってしまった。健康な時なら見破れたはずなのに、気づいてくれたのは元旦那だった。

騙されていた間のことは、自分でも信じられないが、記憶が曖昧なのだ。私は生まれつき頭の中のバランスがとても偏っていたと今になって思う。生まれて間もない頃からの記憶が残っており、自分の見聞きした環境のことも覚えている。その後も記憶力は飛び抜けていたが、自分が飛び抜けているとは気づく由もなかった。

 

なのに、何故詐欺にあっていた時は記憶力も判断力もおかしかったのか。

最近になって漸くわかった。その頃は精神疾患の状態も悪く、強めの薬や、自分に対する怒りやどうしようもない不安発作を抑えるために頓服を処方してもらっていた。そして足りなくなるほど服用していた。

胸も腹も締め付けられるからだ。それを治めるためには頭をぼんやりさせる作用のある薬を使用するしかないのだろう。

記憶に残っていることは、元旦那の助言で消費生活センターの人に力を借りて、思った以上にお金を取り返してもらった。しかし、そのころ私はフレイルのような状態に陥っており、役所に行くことも警察に行くことも、ましてや話をして説明することも、まるで拷問のように苦しかった。

具合の悪い時に重大な決断をしてはいけないと当時の主治医に言われたが、重大で急を要することだらけだったので猶予などなかった。元旦那の家族にまで迷惑をかけ、もうめちゃくちゃ。助けて欲しいと言っても誰も助けちゃくれない。自分のせいでとられた金の分を貸してくれる人などいない。

そうこうしているうちに、とうとう旦那から離婚して欲しいと言われた。

当たり前だ。こんな馬鹿な生き物の面倒を見る人が存在するわけはないのだ。

私は、大切な人が苦しむなら、私はそばにいるべきではない!そう強く思ったことだけはっきり覚えている。

しかし、その後がまた曖昧で、母のところに来たのが具体的にいつだったのかよくおぼえておらす、気づけば2022年の3月下旬で、私は寝たきりになっていた。

母のためのヘルパーは入っていたが、私のために働くことはできないので、私の食料もヘルパーに頼むことはできなかった。なので私の食事はない。水やお茶で凌いでいたと思う。

みるみる痩せていく私を見て母のケアマネは心配はしてくれたが、私のために動くことはできない決まりだ。仕方ないのだ。

私も協議離婚が成立したあとは、一度は諦めた。もう、私がどうなっても元旦那のところに話が行くことはないはずだからと。

 

しかし、詐欺にやられたせいで残った借金がまだあった。60万くらいか。取り戻せる可能性のあるものは取り戻してもらったが、これは私名義の借金。消費生活センターの人では手の出せないものだ。他の誰にも負わせられない。債務整理もできない、自分で返すしかないものだ。

 

2年近くかかってフレイル症状から抜け出せたが、こんなに長くかかるとは思はなかった。とにかく生活費のうち私の食費は削り(母の食費は削るわけにいかないから)、今は1日平均1.5食。これでも食べられるだけありがたい。食べるものがない人達だっているのだから。

 

収入増やしたい。私が働ければ・・・。主治医はまだ無理としか言わない。ひとつずつ改善していくのだと。一体幾つ改善すれば私は働いてもいいのだ? それはいつ来るのだ!

 

私に許される日は来るのか?