魔迫瑠砕のひとりごと

精神障害をかかえながら91歳の母を介護する私の日常

ずいぶん間が空いてしまった。

私の中で、心配しても仕方ない、という諦めに似たものが湧いてきてる。それくらいでいいのだろう。本人ができることを手伝ってはいけない。億劫だけどやればできることはあえて手伝わない。そうしないと本当にできなくなってしまう。

私自身、体調が訳わからんくなってきてる。休めと言われても同居してたら休めない。休養入院するには母の状態が悪すぎて、一人暮らしは無理。ひと月入院するなど夢のまた夢。

このままやっていけるんだろうか…

認知症とは…闘うしかないのか

堪らないよ。辛いよ。母あと僅かで90歳。認知症と診断されて12年経つが、今年は目に見えて進んでいる。同居始めて一年近くになるが、このところ会話もうまくいかない。私が否定すれば怒鳴り出す。あんたを住まわせる謂れはないっ!出ていけ!!だとさ…

まだ歩けないわけではないが手がかかりすぎる。記憶障害に思い込み、理想と現実が理解出来ない。認知症の方を介護してる人なら大なり小なりお分かり頂けるだろう。矛盾だらけな無法地帯の家庭内の苦しみが…

私は精神疾患を持っている。オペラ歌手のような響く声で怒鳴られるとダメージが半端ない。昨日も今朝もやられ、ディサービスから帰った母と会話ができなくなった。

歩行訓練

一昨日の日曜日、ここに来て初めて散歩に出た。結構歩けたのでまた天気が良ければ散歩に出ようと思っていた。

今日は天気が良くないので無理だと諦めていたのだが、午後になって少し陽が出た時間があったので15時に出てみた。母がデイサービスに行くのにキーを忘れていったので自宅前でリハビリすることにした。YouTubeで見たダンスステップもやってみたかったから。ブロック塀を伝い、ゆっくり歩いてから少しずつ歩幅を広げ、ランニングステップの分解バージョン、ムーンウォークステップの分解バージョンもやってみた。ただ歩くだけでは飽きてしまうので良かったかも。ダンスステップとしてできるように頑張るのはしっかり歩けるようになる目標より楽しいかも。1時間も頑張れた!

台風去った

このところ毎週台風が来てる。というか間なしだ。特に11号・13号・14号の三つ。皆似たような特性を持つ。日本に向かってきても北に高気圧があって動かないために台風は行き場を失い、沖縄の南あたりでうろうろして停滞してしまう。その間何日も居座るから、台風の暴風域に入った地域などはたまったものではない。

台風はどんどん成長する。となれば当然のように災害が起きる。台風どもは日本のあちこちに災害を招き寄せた。川の氾濫、土砂災害、暴風による建物倒壊等々。

そして、暴風で家が唸っている最中に地震があったり…。災害列島だよ。

TVでも避難避難とうるさかったが、私は開き直った。母を連れて避難など無理だと。死ぬときは何をどうやったって死ぬんだと。非常食の買い足しも行きそびれたため、腹くくるしかなかった。

私の心の中に不安が生じた時の荒れ狂いようは尋常ではない。異常と言ったほうがいいか。

9月になった

8月は暑すぎてダウン。末に身体もかなり弱って近所の内科にようやく行って、体重測らせて貰ったらなんと12kgも落ちていた。まずい。

筋肉も落ちて、歩き方はまるで婆さんだ。荷物が持てないから母の歩行カートを借りるのだが、腿上げが辛いのに驚いた。マジでリハビリ強化せねば89歳の母に倒れられても今は何もできない。もし旅立つようなことがあっても墓に納骨すら行けない。

家の中ではとにかく起きていて、移動もちゃんと立って出来るように今年中に戻さねば。

頑張れ私。自分の命尽きるまでは。

今日は七夕だったっけ。

毎年晴れを願ったものだが、私の彦星は居なくなっちゃったから願う必要もなくなった。

もう、どれだけ待っても二度と会ってはくれないだろう。私は、大好きだった元旦那を裏切ったことになった。

私は精神疾患を患っているので障害者年金を支給してもらい細々と暮らしてた。元旦那と一緒だったから今まで生きてこられたと感謝している。

だが、流行り始めていた詐欺に引っ掛かっていた。勿論自分じゃ気づいていなかった。

その段階で旦那に話していれば【アヤシイ】とすぐに分かったはずだが、私が服用していた薬の中に、不安や不穏時に飲む頓服があり、それも飲んでいたからなのか疑う気持ちが湧いてこず、信じてしまっていた。

私は精神疾患のせいか、物事をわかりやすく説明することが苦手だった。元旦那も困ったことがあるなら話して、と何度も手を差し伸べてくれていたのに、私が説明するにはかなり労力を要するところまではまり込んでいた。が、それでも元旦那は危険だと教えてくれ、兎に角私が乞われるままに払ってしまったクレカの分は、元旦那が大事にしていたものをどんどん売ってお金を作り、借金部分の返済に充ててくれました。

全部私がやらねばならない事なのに、元旦那が助けてくれました。

おんぶに抱っこ、いい加減にしろってぶっ飛ばされても文句言えない状態なのに、必死に私を助けてくれました。でも、私は何もできませんでした。

ここまでくれば、愛想尽かされても当たり前。なのに元旦那が私のことで悩んでいたことなど全くわかっていませんでした。

結局私たちは離婚することになってしまい、私は一番大事な元旦那を失いました。あとは、元旦那が私の分まで兎に角幸せになることを祈るしかありません。Sさん、本当に15年間ありがとうございました。どれだけ感謝してもしきれません。

私は寿命が尽きるまで貴方に感謝し続けます。

もう一度…

せめてもう一度、ドラム叩きたいな。ギター二人とベースの元旦那と一緒に。短かったけど楽しかったんだ。

若い頃は、高校から社会人になって一年間はバンド活動やってたな。そんときは女の子だけでやってたっけ。

ダンボールでセット作ってストリートでもやるかな。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪