魔迫瑠砕のひとりごと

精神障害をかかえながら91歳の母を介護する私の日常

過ぎたるは

はぁ、せっかく楽しい居場所を見つけたのに、なんか膝やあちこちの関節が痛くなってきて、病院行ったら軟骨なかったり炎症起こしてるから安静にしてろだって。やり過ぎたか·····

安静は無理だよ。しかも今回は背骨のひとつがズレるというなんちゃらすべり症なるものに罹り、腰痛を酷くしていることがわかった。背骨ってズレるもんなの?

それから部分入れ歯を支えている歯が痛み出したから歯医者に行ったら、自分では見えない入れ歯との接触部分に大きな穴があいてて、すごい虫歯になってた。仕方ないから麻酔して削って神経をとり、根の治療を始めた。

眼科に行きゃあ、飛蚊症白内障の初期。左目に至っては緑内障の疑いありで来週検査。もしそうなら、治らないけどほっとくと失明するから進行を止めないといけないんだと。
なんで治らない病気ばっかになるんだよ、もう!


それと胃潰瘍の様子も見ないといけないし。


あとなにがあった?
あ、子宮についてた筋肉、どうなってるかそろそろ検査しないとな。筋腫ならまだしも癌にでもなってたら目もあてらんない。

でも、そんなに医者のハシゴしてる暇ないぞ。
母の通院の付き添いしなきゃならない。

こうなると、なんか言われてもだんだん驚かなくなってくるね。いずれにせよ最後は死。これは生き物にとって平等だしな。

見つけたかも

居場所。

1年半前、食事も取れずフレイルでたって歩くことも出来なくなり寝たきりになった。
大事な伴侶を失ったショックだろう。

右半身だけ大汗かいたり、訳が分からなかった。時々不整脈が起こり気が遠くなった。

マジでもうダメかも、と思い腹を括った日もあった。

けど、せめてもう一度ドラム叩きたい。そう思って立ち上がる練習を始めた。そして一年半、普通に生活できるまでに戻った。身体がまともに動くって、ありがたいね。
そして、なんと自宅から徒歩5分くらいのところに choco○○○がオープンしたのを知り、飛びついた。

マシンを使っていると楽しくなる。ちょこっとずつ慣らしていこうと思うのだが、ついつい遊園地にいるような錯覚に陥り、長居してしまうのだ。初めてまだ2週間だと言うのに膝と腰が·····
少しペース落とさないとまずいな。

ここにいる間だけは、楽しく安寧でいられる場所になった。

苦しいよ

まいるね。これは私の性格らしいが、自分のことより周りの人、特に家族のことで苦しむ。
自分のことだけ考えて外に出られることが一日でもあったら、随分違うんだろうな。

ほっぽらかしたいけどできない。で、結局どうにもならなくなって自分が情けなくて爆発。私はこんなにもいじめっ子だったんだ、自分に対して。

今の自分は母のために生きてるだけ。自分のために生きる要因はひとつも無い。早く終わらせたいと思うばかりになってる。がっ、母はそう簡単に終わりそうにない。100歳は余裕で超えるんじゃないか·····
そう考えただけでも明日朝目が覚めなければいいと願ってしまうよ。

抑えきれず·····

とうとうやってしまった。昨夜、あまり母がワガママ言うから振り回されてる自分が情けなくて爆発した。自分の部屋のドアを殴る蹴るして壊し、自分も打撲骨折した。

台風が迫っていて、それでなくても体調優れず、間が悪かった。

修理代·····無いや。

それでなくても母が自分の家と勘違いして大事に使ってないから、引っ越す時には相当取られるだろう。敷金なんて残るわけないよな。つまりは全部私にかかってくるんだから同じことだ。


いってぇ·····

この痛みがあるうちは何とか抑えが効くだろう。両手指と右足親指。地に足が踵しか付けないから歩きにくい。病院で松葉杖でも出されたらたまんないな。
でも今日は台風ですごい雨。病院なんて行けないや。

指先は動くけど物は持てん。

会話って難しい

今日は比較的穏やかな一日だったように思う。デイサービスがないから母もいたが、ぶつかることもなく·····

ま、会話してないからぶつかることがないのは当たり前か。
ひどく落ち込むこともなかった。

私は会話が苦手だ。特に自分のことを誰かに伝えること、話すことが劣っている。だからよく誤解される。誤解を解こうとすると言い訳するなとか言われることがよくあって、いつ頃からか自然と誤解されてもそれ以上話す努力をしなくなった。

辛いけれど、しなくなれば出来なくなった。

今思うと、私が大切なものを失ったのは、それが大きな原因の一つじゃないかと感じている。
もう遅いが·····


私の頭は記憶領域が多く占めるのか、その分ロジカル分野が弱い。記憶領域は画像がいっぱい。静止画もあれば動画もある。だが文字はない。

子供の頃は作文が超苦手だった。何をどう言葉にすればいいのか分からないのだ。幼稚園や小学校低学年の頃、学校などから帰って母から今日は学校で何があったかと聞かれても、全て覚えているが説明する文章が上手く作れず、結局「うーん·····忘れちゃった。」となる。

いわゆる無口。


でもそうなったのは自分で自分を押さえつけた結果だから仕方ないわな。

ちびっ子のくせに、愚痴など言ったら親に心配かけると思い、決して虐められようが何されようが、親に話したことはない。


相手がいる会話は難しい。話し合いは難しい。


中1の時、ふとあることに気づいた。
私の頭の中にあるのはいつも画像、だったらそれを、見たまま言葉で説明すりゃいいんじゃない買ってね。
そしたら作文苦手意識が一気に吹っ飛んだ。

それからは決まった文字数内に納めるのが大変という悩みに変わった。

会話はその場で直ぐに返さなきゃならない。私には色んなことを正確に変換する時間が少なすぎるのだ。だから不完全な言葉を返したりして、うまくりかいしてもらえなかったりする。


悔やんでも仕方ないね。

そうだ! せっかく生後2ヶ月くらいからの記憶が残っているんだから、半生記でも書こうか。それなら今すぐでも始められるな。

やっと

腰と膝の痛みが落ち着いた。痛み止めも飲まないでいられる。でも、長距離歩いてみてないから膝はな。

多分歩き回れば膝は痛む。これは今に始まったことではないから仕方ないか。

移動は、本当は徒歩でなく自転車がいいのだが、今住んでるアパートは自転車置き場がない。だから買えたとしても困るんだけどね。


バスに乗れれば少しは楽なんだけど、具合が悪くなるからどこに行くにも徒歩しかない。

今のとこ、病院か役所にしか行かないから何とかなってるけど。

もっと前向きに外出できるようにならないとバンドもダンスも芝居もできない。仕事などもってのほかだ。
今はただ母のために生きてるだけみたいなもの。
母の人生に幕が降りれば私が生きる意味もなくなる。
早くそうならないかなと思う自分がいる。親戚もいなくなるし、そうなったらどうするかなんて今は考えられない。


笑うことも忘れてしまったようだ。

作ってから随分経ったブログ

一つ目の投稿からあまりに色んなことがありすぎて書けなかった。

再開してみようかな。

相変わらず自分の身に起きたことが飲み込めないでいる。
それでも、一時のフレイル寝たきり状態から、10ヶ月ほどかけてリハビリして、なんの支えもなく自分の足で立って歩けるようになった。

介護の辛さは募っていく。

一週間前、母を抱き上げたら腰と膝をやってしまった。鎮痛剤を飲み貼り薬を貰って凌いでいるが、三日前から大きなストレスのせいか、母と会話が出来なくなってしまった。
ヘルパーとも顔を合わせられない。

ただただ部屋にいて、時刻が来れば母に食事&薬を飲ませ、トイレを促す。

まだ歩けるからいい。寝たきりになったら果たして自分がもつのか。自信が無い。母は施設に入るのは嫌がっている。

今の気分は····· 苦しいね。